S 「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ 

早川書房

 



【ネタバレご注意ください】

 

これから読まれるご予定で、何も知りたくない方はここまでで。

読み終えてから、また帰ってきて下さると嬉しいです。

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ノースカロライナ州の湿地で青年の死体が見つかり、湿地に暮らす女性が疑われる話。

 

予備知識はそれだけで読み始めた。読後しばらく放心する位に良かったのに、感想ノートに内容をほとんど書いてなかったので、今回再読した。

 

メインストーリーは殺人事件として展開して行くけれど、湿地の自然が大きなテーマでもあり、差別や偏見、1人の少女の成長、善悪について、といくつものストーリーや考察が重なり合っている。

初回は自然描写の鮮やかさと筋書きの先行きにばかり気を取られていた。2回目は意外と恋愛心理が丁寧に描かれていることに気づいた。

湿地の美しさ、地の文の優雅さは変わりなく突出していると思う。

 

 

私は独学の人がとても好きだ。

この主人公はその中でも生きること自体がセルフビルドだ。

湿地でひとり暮らすカイアは、ホワイトトラッシュと呼ばれ、地域社会から弾き出されている。

親も兄弟もひとりずつ出て行き、学校にも行けず、湿地の奥の小屋で6歳からひとりで暮らし、ほぼ人との関わりを絶ったまま大人になって行く。

 

彼女は学校に1日しか行っていないので文字が読めないが、家を出て行った兄の友人テイトに読み書きを習い、羽根や貝の標本を集め、分類し、壁に飾り、絵を描く。

そしてそれは、湿地の研究者として何冊もの本を出版するまでの貴重な学問となる。

膨大なリサーチと経験から、一定の法則とか分類が浮かび上がってくる瞬間。

その喜びは、おそらくほとんどの人が経験できないものだ。

 

 

この作品の一番好きな所は、散りばめられているリリカルな自然描写。

舞い降りてくるカモメ達、落ち葉の舞う様子、釣り上げられた魚の目、湿地の泥。

光の中を埃がキラキラと舞い、影に入ると消える様子が特に鮮やか。

子供の頃に同じような光景に目を奪われた者は、誰もが目の前にありありと見えるよう思える描写。

作者の見つめる人間と野生の間の世界の美しいこと。

 

 

自然の中で暮らすカイアは、普通の暮らしにあるものを持っていない。

あらかじめ失われている、その後で得る(得たと思う)、そしてまた失う。

自然の中では一つのことが終わっても、それは別のことの始まりでもある。

終わりと始まりは繰り返すので、物事は終わるけれど、終わりの終わりが来る訳ではない。

始まり続けるとも言える。

人はサイクル全体が見えないから、終わりを恐れる。

 

 

事件の真相については、最後の最後で読者もテイトも知ることになる。

それも意外な方法で(それはさすがに書かないでおこう)。

極端な孤独の中で暮らしてきた為に、人を信用することが困難なカイア。

愛するテイトにも心の奥底を打ち明けることはできなかった。

それに気づいたテイトの心境はどうだったのだろう。それを何度も考えてしまう。

 

私たちはおしゃべりして愚痴を言ったり、ちょっとだけ毒を吐いたり、分かってもらったりすることで、心に溜まる澱を浄化することがある。

でも、本当に大切なことは言えないものなのかもしれない。

そして、相手の為にも自分の為にも、言わない方が良いのなのではないか、とも思った。

 

動物も昆虫も自分のことなど何も言わない。人の知らない所で生きて、そっと退場して行く。

そんな風に生きるのは現代の人間には、とても厳しいこと。

その厳しさも含めて少し憧れる。