M「猫の子」ヘンリー・スレッサー

子猫や若猫に向けた猫による教科書、楽しそう~~!!
そして最後の一文「すぐに擬人化したがる」にウンウン頷いてしまいました。
擬人化された猫ちゃんは、あの偉大なキティちゃん*1をはじめ、そこここにいますもんね。

 

それで思い出したのが、猫と人間の間に生まれた青年が主人公のこの作品。

 

ここに登場する猫ドーフィンは、あくまで姿かたちは白いアンゴラ猫です。
なんですけれど、人語を話し教養に溢れた彼の物言いや立振る舞いはまるで貴族のよう。
フランス名門家の領地に迷い込んだドーフィンは、やがてお姫様のように美しくデリケートな青年の母と結ばれます。

 

この父猫ドーフィンは、三か国語を話し芸術に造詣深く人生に深い知識を持っており、
領地の使用人は皆ドーフィンに敬服し従っています。
勿論主人公の青年も、父を深く尊敬し愛しています。

 

そんな青年が留学先で恋仲になったのは、現代的で溌剌としたアメリカ娘。
彼女と結婚を考えた青年は、父猫が暮らす故郷フランスの領地に
アメリカ娘を連れて帰ってくるが…。

 

結末はしんみりと切ないですが愛情に溢れ
切なくも暖かい気持ちになります。
寓話といっても良いかもしれない。良いお話です。

 

 

 

*1:サンリオによると、「ハローキティ」ことキティ・ホワイトは、猫をモチーフにした「擬人化キャラクター」であり、あくまで“女の子”という扱いらしい…。私も今回調べて初めて知りました。2014年アメリカでのキティ展覧会で明かされたそうです。

S「猫語の教科書」ポール・ギャリコ

灰島かり訳 スザンヌ・サース写真

ちくま文庫

 

 

Mさんのロシアの怪談。面白そうです。

知らぬ間に3人のコサックが自宅に入り込んでいて、彼らをおもてなしするお話。

不穏だし怖いけど、もてなすのが不思議で面白い。

禍々しい者に勝手に入って来られるのは嫌だな。

 

「魔物が家に入るには、中にいる人にドアを開けてもらわないといけない」というルールを耳にしたことがあります。

そこから映画『僕のエリ 200歳の少女』を思い出していたら、Mさんも最近思い出してたと聞いてなんか嬉しい。

 

聞くところによると、魔物は「入れください」とか「お母さんですよ」とか色々言って扉を開けさせようとするらしい。

でもどこか怪しまれて入れてもらえなくて、あぁ、危なかったで終わる話も多い。

 

そんな魔物に比べて、猫の場合は百戦錬磨。

今回の私の本は猫です。

 

これは子猫や若い猫達に向けた、猫による教科書。

人間の家に入り込み、家族を支配する方法が丁寧に解説されている。

でも嫌な感じはなくて、賢い猫だなぁと感心する。

私は割と長い間、猫と暮らしてきたので読んでいて楽しい。

 

この本を読むとよく分かる。

手練手管を駆使されると、人は猫に勝てない、

絶対に自ら家に入れてしまうし、寝室も使わせてしまう。

人間の家族は巧妙に操られている。

 

第一章のタイトルが「人間の家をのっとる方法」で、確実に鮮やかにドアを開けさせてしまう方法が書かれています。

 

コケティッシュな魅力を活用する猫は悪い女性と重ねられそうだけど、やはり少し違います。

すぐに擬人化したがるのが人間で、それを知っていて精一杯利用するのが猫。

M「思いがけない客」ミハイル・ニコラエヴィッチ・ザゴスキン

19世紀ロシア文学、ろくに知らないのにほのかな憧れがあります。
なんでだろう…パルナスのCM??


表紙もタイトルも美しい「金の魚」から、
次も同じくプーシキンの作品にしようかなと思ったのですが
プーシキンほぼほぼ読んでなかった…無念…

 

というわけで1834年に発表されたこちらの怪談を。

 

お金持ちで信心深く、慎まやかだがお客をもてなすのが大好きな、ある貴族。
ある夕方、彼はふと神に懐疑心を抱いたまま眠りこんでしまう。
目覚めた彼の前に三人のコサックが現れるが、どうも皆おぞましい風体。
いぶかりつつも、慣習で三人をもてなそうとするのだが…。

 


お話自体は単純なんですけど、
そこに描かれる風習がとても興味深い!
「ロシアの貴族は豪邸を建て猟犬で狩りをし温室を備える」とか
「寝台を暖炉(ペチカ)の上にしつらえている」とか
「信心深いコサックはまず聖像に祈り、そのあとに挨拶をする」とかとか。
描かれる悪魔たちの風采や立振る舞いも面白い。

 

数ページの短い短編で、扱ってる題材も恐ろしいもののはずなのに、
なぜかほのぼのしてしまう作品です。

 

 

 

S「金の魚」A.プーシキン

未知谷

 

 

Mさんのソログープから、19世紀ロシア文学繋がりでプーシキンへ。

 

ロシア文学には憧れがあるけれど、長く暗く難解なイメージがあり、なかなか手が出せていません。

短いという理由だけで若い頃に「地下室の手記」を読んだくらい。

 

お話自体も好きですが、絵本として買ったものです。

ロシアの子供達はみんな朗唱できるという民話風物語詩。

 

心斎橋アセンスが閉店すると聞いて名残を惜しみに行ったときに、たまたま見つけました。

挿絵があまりに美しくて、しかも朗読CDが付いています。

ロシア語の朗読と、日本語訳はなんと岸田今日子の朗読!

 

 

貧しい老漁師が網にかかった人間の言葉を話す魚を助けます。

何でも願いを叶えてくれるという魚と、強欲なおばあさんの無茶苦茶なお願いの板挟みになるおじいさん。

これもまた前回に書いた「猿の手」と同様に、お願い事をして叶えられるのに幸せになれない話。

 

正しくお願い事をするのは難しい。

本当に願ってるのはどういうことか、ちゃんと考えて言葉にしないといけない。

 

おばあさんは最初は「洗い桶」から始まって、宮殿を建ててもらって、女王になる。

でも全然幸せそうにならない。おじいさんのことをずっと怒ってる。

 

おばあさんがお嬢さんだった頃から、こんな風な人だったのかな。

ふたりが小さな小屋で暮らし始めた頃は素敵な奥さんだったのだろうか。

 

おじいさんとの会話は一方通行過ぎて、全く話し合えていない。

本当に洗い桶がほしいのか、なんでそんないつも怒ってるのか、おじいさんも過去には考えたことがあったのだろうか。

 

などなど横道に逸れて考え込んでしまう。

わがままと強欲を諌める民話というよりは、人と人が向き合うって難しいですねと思わせる。

現代人だから、そんな風に受け取ってしまうのかな。

などとついつい考え始めると止まりません。

M「光と影」フョードル・クジミッチ・ソログープ

S様のレビュー中にある「こちらが右手を挙げると相手も挙げる」「互いに真似をしあっている」様子、
それって、まるで影みたい…。

 

ということで私は影絵遊びをテーマにしたお話を。
ロシアで“悪魔的”と称されたデカダン詩人の、1894年に発表された作品です。132年前~~~。

 

町はずれの一戸建てに暮らす、美しい母と息子。
息子は12歳、やせっぽちで蒼白く、繊細な優等生。
お母さんは線が細くて物静かで、息子にとっても心を砕いてる。

 

そんな二人が、影絵遊びに徐々に魅入られていく過程を
ゆっくりと描いているのですが

 

その描写が静謐で幻想的で美しくて、
怖ろしい結末のはずなのに
まさに「幸福な狂気」に彩られていて
読み返す度に溜息が出てじんわりと目頭が熱くなります。

 

生活を厭い幻想を賛美するソログープの吸引力の強さよ~!

 

「現実を生きなきゃなあ…」とわかっちゃいるけど
読んでいるとついつい引きずり込まれそうになる、
初めて読んだ数十年前から、変わらず大好きな作品です。

 

 

 

S「エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 憑かれた鏡」ディケンズ/ストーカー他 E・ゴーリー編

 

柴田元幸 他訳 河出文庫

 

Mさんの話、埋められるだけでも怖いのに。

神の糧として捧げられるなんて。

怖い。でも読みたい要素がたっぷりです。

 

 

私もまたまた、前世紀の怪談です。

ゴーリーが好きで、絵本もオラクルカードも持っています。

絵本の中の禍々しい世界では、子供が酷い目に遭いますが、猫は決して殺されない。

そんな作家が選んだ怪談集。

 

これは!本当に怖かった。

どれもじめっとした冷たい空気がまとわりつく怖さのアンソロジーです。

幽霊屋敷、解剖用の怪しい死体、抗えない運命。

 

中でも読みたかった作品がひとつあります。

W・W・ジェイコブスの「猿の手」です。

これは子供の頃に読んだ児童向けの海外恐怖小説のアンソロジーに入っていたものです。

漫画だったのか小説だったのか定かではないですが、干からびた猿の手の印象がはっきりとあるのです。

 

改めて読んでも怖かった!

願ってはいけない愛する者の蘇る姿が禍々しくて、とても悲しいお話です。

年齢を重ねた今読むと、さらに深く暗い気持ちになりました。

 

そして昔読んだその本の中には、もうひとつ忘れられない話がありました。

道向かいの建物の窓の中にいる男と、ある夜からこちらが右手を挙げると相手も挙げるようなコミュニケーションが始まります。

互いに真似をしあっているうち、向こうの窓の男に合わせて主人公の男性が首に縄をかけてしまいます。

理不尽な結末、理由のない悪意。怖い。

M「死体安置所の神」クラーク・アシュトン・スミス

 

創元推理文庫「ゾティーク幻妖怪異譚」より

 

 


怪奇小説だーーーーい好き!!!!!

 

S様と同じく、近年のホラー小説をあまり読んでいない私。
手に取るのはもっぱら前世紀の怪奇小説ばかりですが、
その中でもお気に入りが、このクラーク・アシュトン・スミスです。

 

いやーーーーーもうすごいんですよほんとに!!
独自の神話体系や大陸を舞台に描くその物語は、
どれも色彩豊かでしかもほのかにエロティック。

 

今回取り上げた短編の主人公の妻は、
「早すぎる埋葬」の主人公とほぼ同じ病を患っており旅行先で突然倒れます。
しかし倒れた土地が悪かった。
その地方では墓地も墓石も存在しない。
何故なら死者は全て『モルディッギアン』という神に捧げられるから。
死者は全て神殿に運ばれ、そこで神の糧になるのだから。

 

いやそれ食屍鬼やないかい!!!!

 

というのはさておき、
神官がまとう紫の死に装束に髑髏を象った銀の仮面や
骨で出来た取っ手と骨組みに革紐で織り上げた棺や
くすんだ虹色の渦を巻き込みながら輝く影が
厨二こころをくすぐりまくります。
比喩が端的で絢爛豪華に色鮮やかなのも楽しい。

 

若い頃は親の農作業を手伝いながら詩作を続け、
後半生は庭師の傍ら彫刻を手掛けたスミスの遺した小説は、
数はさほど多くないですが、どれも推敲を重ねた磨き抜かれた文体で
読み返す度にその味わいに嘆息します。