
未知谷
Mさんのソログープから、19世紀ロシア文学繋がりでプーシキンへ。
ロシア文学には憧れがあるけれど、長く暗く難解なイメージがあり、なかなか手が出せていません。
短いという理由だけで若い頃に「地下室の手記」を読んだくらい。
お話自体も好きですが、絵本として買ったものです。
ロシアの子供達はみんな朗唱できるという民話風物語詩。
心斎橋アセンスが閉店すると聞いて名残を惜しみに行ったときに、たまたま見つけました。
挿絵があまりに美しくて、しかも朗読CDが付いています。
ロシア語の朗読と、日本語訳はなんと岸田今日子の朗読!
貧しい老漁師が網にかかった人間の言葉を話す魚を助けます。
何でも願いを叶えてくれるという魚と、強欲なおばあさんの無茶苦茶なお願いの板挟みになるおじいさん。
これもまた前回に書いた「猿の手」と同様に、お願い事をして叶えられるのに幸せになれない話。
正しくお願い事をするのは難しい。
本当に願ってるのはどういうことか、ちゃんと考えて言葉にしないといけない。
おばあさんは最初は「洗い桶」から始まって、宮殿を建ててもらって、女王になる。
でも全然幸せそうにならない。おじいさんのことをずっと怒ってる。
おばあさんがお嬢さんだった頃から、こんな風な人だったのかな。
ふたりが小さな小屋で暮らし始めた頃は素敵な奥さんだったのだろうか。
おじいさんとの会話は一方通行過ぎて、全く話し合えていない。
本当に洗い桶がほしいのか、なんでそんないつも怒ってるのか、おじいさんも過去には考えたことがあったのだろうか。
などなど横道に逸れて考え込んでしまう。
わがままと強欲を諌める民話というよりは、人と人が向き合うって難しいですねと思わせる。
現代人だから、そんな風に受け取ってしまうのかな。
などとついつい考え始めると止まりません。




