SandM 0124

sitarです。ものすごく、ものすごくお久しぶりなのでこっそり更新します。

しばらく読むばかりの日々を過ごしていました。
感想をメモするのももどかしく、次へ次へとただ読む。
体内に活字を貯める為に読んでいるような変な感じ。
文字の餓鬼道のような期間が過ぎて、少しペースダウンした所にやってきたのがこの本。
国書刊行会のが素敵だけれど欲しい本が有り過ぎて、お財布と相談して文庫で購入しました。
著者は「白い果実」の訳者にも名を連ねていたけれど、小説を読むのは初めて。


冬眠者、人形、ゴースト、版画、落ち葉焚き、痘瘡、聖なるもの、怖いもの。

タイトルは深く青い鉱物。私の好きなものがたっぷり。
ネタバレしない程度にレビューしたつもりだけど、これでもかなり書き過ぎかもしれません。
上記のキーワードだけでわくわくできる方は、迷わずお読みになるのをおすすめ致します。

M「デンデラ」佐藤友哉

新潮文庫



実は以前「エナメルを塗った魂の比重」を読んでいまして、その余りのアイタタタタぶりが印象的でしたんで、今回老婆ばかりのお話と聞いてちょっと意外でしたが、これはこれで楽しく読めました。
70オーバーの老婆達が皆とんでもなくタフなところとか、“70年頭を使わず生きて”きて、おそらく教養もないだろう斉藤カユが普通に会話で「韜晦はやめろ」「愚弄するのか」という言葉を使うところとか、ありえないと言えばそうだけど、「ですます」調の地文といい、狙ってやってるんだろうなあと。
その辺がいかにも物語チックで、リアリティ排除されてるんで逆にスルスル読めましたねえ。ほんと数時間で読めちゃった。


人喰い羆の描写はえぐいと言えばそうですが、三毛別羆事件は読んでたので、へこたれることなくクリア。
貧しい村の風習「お山止め」「指切り」「雨止め」「垂れ口」「垂れ股」という数々の暴力も、悲惨なんですが、前述の「つくりごと」感で大丈夫でした。


話は二転三転。
始めは村を襲撃する話かと思ったら羆との戦いで、かと思ったら疫病の話が出てきて、したら仲間割れで堂々たる100歳老婆が中盤であっけなく死んで、残りの穏健派筆頭も羆に殺されて、50人いたデンデラの人数は6人に。うち三人はラストまでに死ぬし、残り三人はどうかなあ。デンデラ再建すると言っていましたが難しいかも。(このへんあまり関心持てず…笑)


でも主人公の斉藤カユは最後まで走る。そこがちょっとカッコ良かったかな。
考えさせられるとか衝撃とかはないけど、エンタとして楽しく読めました。


しかし解説にはぐったり…。すごいなあ、ここまで本文の面白さを削ぐ解説久々に見ましたよ。
まさに「生きた小説を標本にする」解説ですな。

M「虐殺器官」伊藤計劃

ハヤカワ文庫



タイトルに少々ビビリつつ読みましたが、いや面白かったです。


まず「うわあ」と思ったのが、やはりその引用の多様さ。
S様も書いておられる通り、映画・聖書・言語学・進化論・軍事・歴史、色んなとっから自由自在。
モンティ・パイソンは結構頻度多くて、お好きなのかなあと思ったり。「黒い騎士がアーサー王と戦う映画」というのは「ホーリー・グレイル」ですね。SWD=シリー・ウォーク・デバイスもパイソンネタだろうなあ。
ジョン・ポールという名前も面白い。両方とも通常名前に使われますよね(違うのかな?)。某ビートルズの二人とも読めます。
あと、「フジワラという名前のトウフ・ショップが使っていた車」はちょっと笑った。イニシャルDですやん!


ま、そういう引用の楽しさもあって、サクサク読み進めてたんですが。


読み始めてすぐ違和感があったのが、主人公のナイーブさです。暗殺を主な任務とする特殊部隊員にしては驚くほどの青臭さ。
読了後、解説で、このナイーブさは作者の狙ったものというのを知ったのだけど、(「ぼく」という一人称も未成熟さの演出?)ラストまで、いまひとつ腑に落ちないまま読んでいました。


そのナイーブさ引きずったまま、第三部でルツィアとの進化や適応や良心の対話に突入したんで、ちょっと読むのが辛くなったり。第四部の「マスキングされたなら殺意はあるのか」や「意識はモジュールの問題」ともども、“このへん作者のテーマなのかなあ”と思いつつも、どうも理屈先行で、少々しんどかったです。


そしたら第五部で、ジョン・ポールの目的が明かされて、さすがにびっくり。
散々何度も「完璧に正気」と描写されてるにも関わらず、やはり狂気としか思えないこの行動原理。いや「愛する人を守りたい」という動機自体はまっとう、と言える、の、か?だから彼は「正気のように見える」のか?
しかし動機はまっとうでも、その為の手段がもう無茶苦茶なんですけど〜(汗)。
でもまあ、ルツィアが死んで、ジョン・ポールがあっさり出頭しようというのは納得できました。守ろうとした人が望んだことですもんね。


問題はエピローグ。ナイーブな「ぼく」が、虐殺の言語を使ってアメリカに内戦を引き起こさせる。「命令とは関係なく、ぼくの意思でこの虐殺に終止符を打つつもり」だった彼が。


えーなんで??なんでそうなるの??


彼が罰を欲していたのはわかるんです。本当に罰してほしかったのは母親で、でももういないから、恋に落ちた相手でありジョン・ポールの愛人であるルツィアに母親の役割を投影し、彼女からの罰を欲していた。
でもルツィアも、もういない。しかも、愛されていると思っていた母親の中に、自分の存在は殆ど意味をなさなかった。あの視線は愛情からではなかった。


彼にとって、自分の罪を罰する相手は、いくばくなりと自分に愛情を抱いている相手からでないと意味がなかったのも。
だから母親のライフログを読んだ時、彼は「真の空虚に圧倒」され、自分で自分を罰しようとしたのも。


けれど、一時心を通わせたルツィアの望みは、アメリカに虐殺を引き起こすことではなかったはず。
虐殺言語によって引き起こされた他国の内戦のおかげで、アメリカの平和が保たれている事実を知らしめ、他人の多くの死によって享受している自由への責任をとる道を探ってほしいと思っていたはず。だからジョン・ポールも出頭しようとしたんだし。
けど主人公が取ったのは全然方向違いのやり方だった。


ここに至って、彼がナイーブに設定されているのは、ここへ持っていくためやったんかな?とチラリ思ったりしました。
母親への復讐が見え隠れする青臭い自罰。しかも本人は買い貯めた食糧のある自宅で安穏とピザを齧りながら、(自分が引き起こした結果である)外で聞こえる銃撃音を「うるさいな」と感じ、しかし「ここ以外の場所は静かだろうな」と考えることで自己満足。エエー。
それって「罪を背負うことに」なるんかなああああ。
全然「背負って」なんかないですよね。単なるポーズにしかすぎませんよね。
本音は荒れた世界と隔絶して、自らは安全な繭の中でゆっくりと死を待ちたいだけですよね。
胎児を連想させるその姿はなんとも子供っぽい、未成熟なものに見えてしまいます。
そんな“ナイーブ”な彼だから、アメリカに虐殺をとか思いついたんかな、とか。うーんうーん。


最後主人公が虐殺の言語を使って内戦を引き起こすというラストは、十分衝撃的でドラマティックだけど、やっぱり動機がよくわからん、つうか弱いといえば弱いので、そこを真面目に考え出すと、ちょっともにょってしまいました。
なので、色々こねくりまわして考えてはみましたが、今ひとつよくわからないなあ。
まあドラマティックやからええか、みたいな(いいのか)。
SF的な様々な道具立ては素敵だったし軍事トリビアも面白かったしね!

S「虐殺器官」伊藤計劃 

ハヤカワ文庫


この本のタイトルはずっと気になっていたのに、著者の訃報とほぼ同時に知ったので読みそびれていた。
自分よりも少し若い人が書いた本で、しかも既に亡くなっているとなると…なんとなくフィルターをかけて読んでしまうような気がして。今回は文庫版を見かけてなんとなく手に取って読んでみた。



タイトルと著者名の文字のイメージでもっとゴリゴリにSFなのかと思えば、ほぼ現代そのまま。少し違和感を感じる程度に斜めにスライドした世界。
微妙に気持ち悪くてその加減が絶妙で、ぐいぐい引き込まれて読んだ。


とても映像的なものを書く人だと思った。人工筋肉とか、光学迷彩とか、身体を拡張する様なハードではなくソフトウェアな武器とか。人工筋肉の突入ポッドや飛行機の羽根、それを作る過程が印象に残って(目にしてないのに)目に焼き付いてしまう。
もしかして湾岸戦争以降、本当は世界はこんな風になっているのではないかなと思えるリアルな空想。



構想も面白かったけれど、全編に仕込んである映画やキーワードにやられた。
カフカ、エンゼルハート、リッジモンドハイ、チョムスキー、ジェイコブズラダー、モンティ・パイソン…。
あの黒魔術の街で浮いてるミッキー・ロークの佇まいとか、言語学とか文化人類学の用語とか懐かしすぎて。
大学時代の私の周りにあった言葉や映像や感情がふわふわと立ち戻ってくる。
でもこれも現実にあった私の過去とは少しずれた過去みたいで、なんとも不思議な感覚。



続編にあたる「ハーモニー」も面白かったけれど、「虐殺器官」の方が引力が強いと思った。
それは同時代性を強く感じる作品だったせいかもしれない。
ここに出て来るキーワードになんら感情移入しない世代の人が読む時、私と全く違う世界を見ているのではないだろうか。
主人公のクラヴィスとか戦友ウィリアムズ、虐殺をもたらすジョン・ポールの内面や感情にはあまり共感はできなくて、舞台装置ばかりをじっと見ていたような印象がある。
キーワードに引っ張られずに読むと、もっと登場人物の内面に沿うことができるかな。
しばらくしてから、また読み直してみたい一冊。

S「デンデラ」佐藤友哉 

新潮文庫



70歳を迎えて山に捨てられた老婆達が生きて村を作っていて、人喰熊と戦う話。
お話としては以上!なのだけど、面白かった。
サバイバル小説。63歳から100歳の老婆達がタフ!私よりもずっとタフ!



名前がみんなカタカナで可愛い。おばあちゃんぽくもあり、アニメ的な感じもする。
私の祖母の名はミツだったし、姑の4姉妹も全員カタカナ2文字の名前なので妙に親しみが湧いた。


主役のカユをはじめ老婆達の言葉遣いが不思議。方言だと男言葉の所も多いし、おかしくはないのだけど。
お互いをフルネームで呼び合っているのも、なんだか女学生みたい。
母熊・赤瀬の本能で動く感覚が好きだった。人間はそれぞれに思想や私利私欲があるが、熊は怒りと空腹で動く。
熊の方により共感できた。熊、頑張れ!全員もう食べちゃえ!と思ったりした(ごめん…)


とにかく熊が出てきてからは流血の惨事やグロテスクな描写が多い。
スプラッター映画かコミックを読んでいるような感じで、グロイけれどあまりリアルさはない。
とにかくほとんど食べていないはずの老婆達の体力が素晴らしいので、リアルさがほどよく消えている。
ラストはカユと共に走っている気がして、カユとも熊とも一体になったような不思議な浮遊感があった。
この終わり方は、なかなか良いなと思った。


小説はスピード感があってどんどん読めて面白かったけど、文庫版解説がいただけない。惜しい。
テクストを解体して分類して、なーるーほーどねーと納得する。
構造的に民俗学的に様々なアプローチでよく説明されていると思う。
でもこれを読んで一気に冷めてしまった。生きた小説を標本にしてしまう苦手なタイプの文学評論。

S「柘榴のスープ」マーシャ・メヘラーン 

白水社



テヘランから逃れてきた美しい三姉妹がアイルランドの田舎でペルシア料理店「バビロン・カフェ」を開く。

この設定だけで読みたくなるでしょう?各章ごとの扉絵にはアラベスク模様のタイルや細い首のガラス瓶やスパイスが書かれていて美しい。その裏にはペルシア料理のレシピがひとつずつ。バラの香りとスパイスとハーブが漂うようで心が踊る。


長女には料理に天賦の才があり、次女はとても繊細で真面目な性格。シナモンとローズウォーターの香りがする自由奔放な三女。
大家さんのエステル・デルモニコさんの可愛さいじらしさ。妖精フィネガンを待ち続けるミニマートのおじさん。パブのオーナーにに牛耳られている古い体質の村人達、スパイスの香りに抵抗できず新しい物を受け入れる人達など、登場人物が魅力的で楽しい!
エピソードのひとつひとつがとても愛しく思えて、どこに涙する所があるのかわからないまま涙ぐんでしまったりする。知らない土地の話なのに、どこか郷愁を覚える。



美しい3姉妹の過去はとても厳しい。イランでの日々もロンドンに来てからも試練の連続で、過去の重みに胸が痛む。それでもこの姉妹は大丈夫だと思える何かがある。それは長女が作る料理の力なのかも。
「ショコラ」とか「マーサの幸せレシピ」とか映画でよくあるけれど、愛情ある手が作った食べ物の起こす魔法のようなものがあると思える話が好きだ。ミントを山ほど刻むシーンが出てきて、そこがとても気に入った。



ペルシア美人、ざくろ色の壁、美しいティーポット、アラビア文字、青いタイル。全てが美しくて素敵。映画で観てみたいような、イメージの中で大切にしたいような本だった。結末も良かったし、久々に読後感の良い本。