S 永劫のロシアン・ルーレット

 こんな時間だし誰も出てきてくれないかもしれない・・・と心細くなった時だった。
 一枚板の大きな玄関扉が開き、内側に暖かい橙色の灯が見えた。現れたのは館の主人だった。もうかなりの老齢に見えるが背筋が伸びて姿が良い。丁寧にときつけた白髪が上品な印象だ。


「皆眠ってしまったので、私がご案内いたします。暗いので足下に気をつけてください」
落ち着いた威厳のある態度で自ら燭台を持ち、私の先に立った。大きなお屋敷の廊下には回廊にも階段にも深い臙脂色の絨毯が敷かれていたが、蝋燭の灯では模様までは見えなかった。壁は柔らかいベージュとココアの中間といった感じの色だ。前を行く主人の長衣は絨毯の色と似ている。


 館にはいくつもの部屋があり、それぞれの扉の色は少しずつ違っている。どれも鮮やかではない深い色で燭台が通った一瞬だけ姿を見せ、すぐにまた闇に沈む。ある扉の前で老主人はふと立ち止まった。私を振り返り小声で言った。
「さぁ、ここから覗いてごらんなさい」


 その扉は苔のような暗い緑色。指し示された鍵穴に顔を近づけて覗き込んだ瞬間に、カチと金属質の音がした。


 黄金色の髪をなでつけた男が、こめかみにあてた拳銃をゆっくりと下ろすのが見えた。下ろした拳銃を目の前のテーブルにことりと置く。向かいに座ったプラチナブロンドの男が慣れた仕草で、置かれた拳銃を取り上げる。


 向かい合って座る男達は、間に鏡を立てたように瓜二つの容貌だ。着ている物もよく似た感じの、仕立ての良さそうな暗い色の洋服だし、古風な高いカラーの角度も、よく磨かれたとがった靴のつま先も同じに見える。髪の色のせいで黄金の男が快活に、白金の男が物憂気に見えるような気がするが、品良く口角を上げて小さく作った笑顔も、手の表情もまるでそっくりだ。長い指が優雅でつい見とれてしまった。


 今度はプラチナ氏の番なので、彼もまた拳銃をこめかみにあてて白い指で引き金を引いた。私は息をのんだが、鍵穴に近づけた目を閉じることはできなかった。固い音が短く響き、今度もまた銃弾は飛び出す事がなかった。白金の男は黄金の男が取りやすい角度で、拳銃を卓に置く。
 この小さな居心地の良さそうな部屋には、他に誰もいない。2組のソファと小さなテーブルだけで、他には家具は見当たらない。テーブルに置かれたランプが部屋の中央を照らし、壁に近い所は灯りが乏しくなっている。時折ランプの炎が揺れると、壁紙に描かれた唐草かなにかの模様が柔らかく揺れる。


「もう何度も引き金を引いた気がする。確率は1/6だろう?」
 灯りに照らさせて面立ちの陰影が濃くなった黄金色の男が言う。ふたりの表情は先ほどと比べて急に老け込んだようでもある。
「何を言うのだ。まだ始めたばかりではないか」
 白金髪の男が張りのある声と軽やかな身振りで答える。それを聞いて笑い出した黄金の髪の男も白金の髪の男と同じく、まだ青年といえる年齢に見える。
 しかし次の瞬間、テーブルに伸ばした黄金の男の手には節が目立っていた。その年老いた手がぎこちなく取り上げた拳銃は、まるで重さを増したようだった。


 瞬きをする度、ふたりの姿はわずかに、または大きく印象が違って見える。その変わり目はわからないのだが、ふたり一緒に若くなったり年老いたりしているようなのだ。伸びたフィルムを再生しているように姿と声を変化させながら、ただ淡々とロシアンルーレットを続けている。そしていつ迄たっても、銃弾は発射されないのだ。
 ゴールドとプラチナの男達は淡々と引き金を引き、優雅に拳銃を渡し合っている。命がけの勝負というよりも、食後のひとときの楽しいゲームのような長閑さすらある。


「弾は入っていないんですね」小さな声で、老人に聞いてみた。老人は妙に厳かな声で「入っていますとも。たまにどちらかが死にます」と答え、驚いて見上げる私を燭台を持っていない方の手で廊下の先へと促した。


「あのふたりは双子の兄弟なのです。小さい頃は仲が良く、何でもふたりで分け合ってそれで満足していたようです。しかし大きくなるとお互いの分まで独占したくなり、どちらかが死なねばならないと思ってしまったのですよ」
「たまにどちらかが死ぬのに、どうしてふたりは生きているのですか」
「あの部屋は時間の流れが順番通りではないのです。物差しで言えば1の次が6になり、6の次が3になり、9になるような部屋に入らせたのです。死の時間と生の時間を永劫に行き来しながら、彼らはあのゲームを続けます。どちらも勝ってはならない賭けなのです」


 老人は臙脂色の絨毯を先へと歩き出し、私は揺れる燭台の炎を追った。様々な色の扉が灯に照らされて浮かび上がっては過ぎて行った。私は黙ってついて行き、いくつめかの曲がり角を遅れないように曲がった。

 群青色に塗られた扉の前で老人は立ち止まった。短い間だが首を傾けて考えるような仕草をした後で彼はガウンのポケットから鍵を取り出し、彫刻を施してある重そうな扉を開いた。手燭からランプに灯りを移すと、落ち着いた青で統一された室内が浮かび上がる。


 館の主人は優しく微笑み、「あなたはこの部屋でおやすみなさい。温かいお茶を差し上げましょう」と言った。
「どうもありがとうございます」と私も主人に合わせて礼儀正しく答えた。


 ビロード張りソファは濃いブルーで、固めのクッションが私の好みだった。
 あの老人を知っているが誰だったろう、広い館の中で私にこの青い部屋を選んでくれたのはなぜなのだろう、とぼんやり考えていた。夜はまだ気が遠くなる位にたっぷりと残っていた。