M「欲望と抑制のあいだで」ゴードン・トーマス  

SandM2005-04-13

原書房


“尼僧の恋”でこれを思い出しました。これは聖職者が、性に対する欲望にどう対処しているか(または対処できていないか)を、五人の修道士及び修道女の軌跡を通して描いたノンフィクションです。
彼らが属するのはローマ・カトリック教会。これは本書によると、教会の中で今でも聖職者の結婚を認めていない、ほぼ唯一の教派なのだそうです。認められてはいないのですが、しかし実は『40万4千人の司祭の内少なくとも3分の1が、過去に、あるいは現在も、司祭として強要された独身制の誓いを破って』いて、密かに女性と関係し続けている司祭は25万人にものぼるとのこと。
ここに登場する聖職者はその25万人のうちの一人だと言えます。しかしどの人も、非常に真面目に悩み苦しみ、時にはその苦悩で身体を苛んでいます。それでも選べないのです。禁欲か結婚か。なぜ自分は神だけを愛することで満足できず女性(男性)を求めてしまうのか。
本書によると、キリスト教の教えに従えば、『あらゆる献身の核を成すのは、他者とのつながりを断った者だけに可能な、肉体と精神における、原初的な、感覚的な、個人的な超脱である』なのだそうですが、それを知り尽くしながらもなお、ある者は教会を脱して結婚し、ある者は修道女に留まったままこっそりと司祭と情を交わし続けます。登場する五人の選ぶ道はそれぞれで、どの人も、道を選んだ後も、それが良かったのかどうか悩み続けています。私は、特定の宗教に帰依していないしキリスト教についても殆ど知識を持っていない、生半可な読者なのですが、それでも、信仰と欲望の間で苦しむ彼らの葛藤に、非常に強い印象を受けながら読みました。