私事ですが、うちの2匹目の黒猫の名前は仁左衛門。ちょうどこれを読んでいる時にうちに来た。
来たは良いが、姿は見えず。餌は食べているようだが、雲のように現れ霧の様に消えてしまう。
それで仁左衛門(義姉猫は尻尾の形状から、ぐるぐる)。5年ほど飼って最近少しは懐いてきたけれど。
本格の大盗賊の名前を戴いてしまったから、こんな猫になったのですね。
その仁左衛門を久しぶりに読み返した。初回も感じたように、やはり渋くて哀しい。
物語は息をつかせず展開し、よくできている。
けれどその盗みは危機一髪の連続、行き止まりの予感がつきまとうのだ。
一滴の血も流さず、犯さず、時間をかけて周到な仕掛けの上での大仕事。
その彼の丁寧な昔気質の仕事が時代に合わなくなった。
ひとつの時代を築いた男の仕事がほころび、裾野から傾いて行く様子。
さっさと殺して盗む「急ぎばたらき」が主流の世の中、何年もかけての大仕事は難しくなってくる。
彼自身も年を取り、焦ってきたのかもしれない。
周到な仕事であればこそ、小さなほころびががせつない。去り際というのは難しい。
雲霧一味を追う盗賊改メもまた、時代に合わない丁寧な仕事をしている。
長官、与力、同心、目明かしに至るまでが心をひとつに無私の仕事をしている。
その家族迄が江戸の治安を守る為に稼ぎ、父や夫の活動を支えている。
長官の阿倍式部、同心の山田藤兵衛、配下の同心高瀬や目明かしの政蔵。
どうも武家出身らしい仁左衛門、小頭の木鼠の吉五郎、「引き込み」お千代。
どの人物にもドラマが見え隠れして、読みながら心穏やかではいられない。
誰も魅力的だから、両チームを助けたい。もう誰を応援して良いかわからなくなるのだ。
最初に読んだ時にはただただ毒婦と思えた「七化けお千代」。
とにかく可愛いのだ。尼僧姿に扮して押し込み先の松屋吉兵衛を手玉に取る悪っぷり、仁左衛門への純情。
前はこなれた悪女だと思ったのに、今回はとてもいじらしく感じられた。
だって、2人の時は「おじさま」って呼ぶんですよ。
7歳位から知っていて(男女の仲になったのはずっと後)、ずっと好きだったなんて。やだな。
そんなのクラリスがルパンの一味に入って、後日不二子ちゃんになったようなものではないですか。
そんなお千代も二十代後半の設定で、仁左衛門に至っては四十をいくつか超えた位。
おいおい、妾はお頭と同い年位じゃないのかえ。
初読の時にはそこはスルーしていた。ドラマで山崎努の仁左衛門を観た時にはぴったりだと思った。
けれど本当は現代の感覚よりも十歳位は若いのではないのかえ。
それだけ江戸時代に比べて、現代人は子供なのかしらねと考えたり。
この物語には様々な立場、年齢の人々が登場する。大きな枠組みでは尾張の騒動とも関わっている。
いつ読んでも誰が読んでも、解多く色々な読み方ができる話なのだ。
全てを書き切らず多くのことを示唆している、上手い仕事だなぁと唸ってしまう。
池波作品を読むと、どの作品に限らず鬼平が言う「人は良い事をしながら悪い事をする」と
いう人間観が感じられる。そこが好きなのだなぁと、つくづく思う。