M「魍魎の匣」京極夏彦  

講談社文庫


うーん、一作目で期待しすぎたかも…。匣詰め美少女とか新興宗教とか近親相姦とか、まあいろいろ出てくるんですけれど、けれんみがもうちょっと欲しかったです。
一作目で思って、二作目読了した今も思うのは、このシリーズって、推理の綾とか人間観察とか闇の部分探求とかを、求めるもんでは全然ない。やらしい程に、安っぽさと紙一重なあざとい事件や事象が次々出てきて、それを如何に京極堂主人(すなわち作者)の薀蓄で煙に巻かれて騙されるのを楽しむか、そこに尽きるような気がします。例えるなら、紙芝居みたいな感じ。あるいはろくろっ首や小人が出てくる芝居小屋。いかに気味悪いモンが出てきて、そこで芝居小屋の主人が「親の因果が子に報い〜」って唸ってるのを聞いて、もう絶対そんな大層なモンじゃないし、ただちょっと発育が遅かっただけとか、実は紙と糊で作ったニセモノなんだろうなあとか思いながらも、騙される・騙されるのを楽しむ、そんな感じなのです。
一作目の「姑獲鳥の夏」で私が楽しんだのは、「死体が転がってるのを目にしながら意識に上らなかった、それも一人でなくして何人も」という、それだけとると噴飯モノのネタを、美少女の笑いの記憶のカットバックなどを上手く使って、力業で、強引に、説得力あるように見せかける、その手腕が見事で、もうゲラゲラ笑えてしまったからなのです。今回はその目眩ましがもう一つで物足りなかったです。ただラスト、匣を持って彷徨う雨宮氏の描写は良いなと思いました。