ステファニー・ランド 村井理子訳
Sです。もう5月も後半です。
気がつけば1ヶ月以上が経ち、またまた時間が空いてしまいました!
「掃除婦」が2回続いてからの「メイド」です。タイトル行が「」だらけになってしまいました。そしてタイトルが長いので、作者名まで入りませんでした。
翻訳者が好きな人だったので読んだ本です。
たまたま「掃除婦のための手引き書」と同時期に読んだけど、タイトルだけでは同じ括りにはできない本。
アメリカで28歳でシングルマザーとして暮らす女性の話。
政府の援助を受けて暮らすことが、貧困から抜け出すのを難しくしている。
お祖父さんの「お金がない」話や、引っ越した家でのエピソード、親や夫の対応は辛くてたまらない。
一方で優しい人もいて救われます。
絶望しながらも立ち止まらずに書き続ける。本当にタフで勇気があり、ハードワーカー。
後半になって、人生は加速度的に展開して好転して行く。
本当に良かったと思いつつ、ストーリーの色彩が変わってきた様な印象を受ける。
これはノンフィクションなのに、つい物語を消費する様に読んでしまいそうになる。そのことに、自分でショックを受けてしまう。
ルシア・ベルリンの作品にある不遇な日々をやり過ごす為のユーモア、格好良いニヒリストのルックス。
もちろんその奥には深い悲しみや叙情性があります。
その文学的に蒸留されたような素晴らしさと、今生きている社会の問題を同列に語るのは難しい。
この本について書こうと決めてから、読書メモを振り返りながらも書きあぐねていました。
それは職業名でバトンをつなぐ中に、現存している人のノンフィクションを入れる違和感があったのだなと気づきました。
フィクションとノンフィクションが連想されてつながって行くこと自体は、全然おかしくないことです。私達はずっとこんな風に書いて来ているので。
私の気持ちの中でこの2冊にある別のつながりと意味。それはもう少し考えてみようと思います。