S「柘榴のスープ」マーシャ・メヘラーン 

白水社



テヘランから逃れてきた美しい三姉妹がアイルランドの田舎でペルシア料理店「バビロン・カフェ」を開く。

この設定だけで読みたくなるでしょう?各章ごとの扉絵にはアラベスク模様のタイルや細い首のガラス瓶やスパイスが書かれていて美しい。その裏にはペルシア料理のレシピがひとつずつ。バラの香りとスパイスとハーブが漂うようで心が踊る。


長女には料理に天賦の才があり、次女はとても繊細で真面目な性格。シナモンとローズウォーターの香りがする自由奔放な三女。
大家さんのエステル・デルモニコさんの可愛さいじらしさ。妖精フィネガンを待ち続けるミニマートのおじさん。パブのオーナーにに牛耳られている古い体質の村人達、スパイスの香りに抵抗できず新しい物を受け入れる人達など、登場人物が魅力的で楽しい!
エピソードのひとつひとつがとても愛しく思えて、どこに涙する所があるのかわからないまま涙ぐんでしまったりする。知らない土地の話なのに、どこか郷愁を覚える。



美しい3姉妹の過去はとても厳しい。イランでの日々もロンドンに来てからも試練の連続で、過去の重みに胸が痛む。それでもこの姉妹は大丈夫だと思える何かがある。それは長女が作る料理の力なのかも。
「ショコラ」とか「マーサの幸せレシピ」とか映画でよくあるけれど、愛情ある手が作った食べ物の起こす魔法のようなものがあると思える話が好きだ。ミントを山ほど刻むシーンが出てきて、そこがとても気に入った。



ペルシア美人、ざくろ色の壁、美しいティーポット、アラビア文字、青いタイル。全てが美しくて素敵。映画で観てみたいような、イメージの中で大切にしたいような本だった。結末も良かったし、久々に読後感の良い本。

M「男と男の恋愛ノート」簗瀬竜太+伊藤悟

太郎次郎社



まあ、「あんしん電話」は最後の手段として(えっ)
孤独死の本を読んで、
「家族がいなかったり年上だったり、いても繋がりが希薄なら、他人と繋がっていくしかない。それにはどうすればいいのか?」
という繋がりで読み始めたこの本。


これは、ゲイである著者二人が、家族へのカミングアウトを経て、
母親と暮らす伊藤家に、簗瀬氏が同居してからの日々を書いてるんですが


いや〜、もう、壮絶!


赤の他人が一緒に暮らしていくのは、本当に並大抵では出来ない!
このケースは、いきなり相手の母親と同居なんだからそのハードルたるや。
しかも掲載されている家の見取り図見て絶句。
トイレ風呂洗濯全て母親のベッドがある部屋に隣接、その部屋を通らねば二階にもトイレにも行けない。
これは厳しすぎるでしょう。というか無理でしょう。
そりゃ何をするにもいちいち気を使うし、それくらいならと洗濯物を実家に持っていくのもわかる。
それを「図々しくなって自由に使えばいい」というのは無理があるかと思います伊藤さん。


転がり込んできた側が当時無職という負い目もあって母親の家事を手伝いだす、すると母親が段々「手伝ってくれて当たり前」と思うのは当然で、そうなると初めは善意で始めたことでも、しなければならない義務・プレッシャーになっていくわけで、でもパートナーは「仲良くやってるじゃん」くらいの意識しかなくて


そりゃー大喧嘩になるわ。修羅場になるわ。
でも大喧嘩しながら乗り越えていくのがすごい。そこを赤裸々に書いたこともすごい。


パートナーシップの話からは少しずれますが(でも繋がってますが)、
家族、ことに母親に対しては、どうしても無意識で甘えちゃうんだろうなあという事も思いました。私含め。「してくれて当たり前」と。
でも実は全然当たり前じゃないんですよね。
簗瀬さんと母親の会話にも触れられてるけど「生活をするってことは人間の基本」なのだ。
橋本治いわくの「自分の食い扶持は自分で稼ぐし、自分の汚れ物は自分で洗う」のが当然なのだ。


それを自覚して、自立した人間となったとき、よりよいパートナーシップを相手と築いていく「自分の足場」が出来るんじゃないかと思う。


そう、あくまで足場。あくまで「スタートラインに立てる」というだけです。
誰かと一緒に住んで生活を作り上げていくには、他にもいろんな努力が必要ではないかと。
その中の一つが、陳腐ですが話し合い。それもマメに。
なんつうか、生活の一つ一つの作法が違うから、いちいちしょーもない細かいとこでひっかかったりするのですね。
それをお互い譲ったり許したり受け入れたり、そういう作業を細かくしていくうちに、「二人の作法」が出来上がっていくんだと思いますです。
時間も根気もかかりますけど。相手と一緒にいたいという気持ちがないと続かないですけど。


本書の終わりでは、またまた大喧嘩して同居を半分解消している描写があり、ちょっと心配だったのですが、これより10年後に出た某文庫の後書きに伊藤さんが登場しており、変わらず簗瀬さんと一緒にいるご様子でほっとしました。

M「ひとり 誰にも看取られず」NHKスペシャル取材班&佐々木とく子

阪急コミュニケーションズ



ううううう〜。幾つか事例が紹介されていますがコレが辛い辛い。
死後三年経過し白骨死体になるまで発見されなかった男性なんて最たるもの。
その間誰も訪ねる人も連絡する人もなかったということだものね。
他にも、妻子もなく最後まで職安に通い求人票の束の中ひっそり死んでいく男性。
認知症になり、親族に団地へ放り込まれた女性。


うーむ、他人ごとではない!


孤独死」という問題が表面化してから、地域行政やボランティアによって様々な取り組みがされていることが紹介されていて、一定の効果はあるとは思うんですが、
でも結局は、「本人が孤独死したくないと思い行動する」に勝る予防策はないんだろうなあ…。
そんな気がしたです。
家族親族との連絡を絶やさない、地域と交流する、辛いときは率直にSOSを出す、などなど…。


でもなかなかそうはいかないですよね。家族がいなかったり、いても疎遠だったり、交流できる地域組織がわからなかったり、SOS出せる仕組みが身近になかったり…。


実は結構「孤独死でなにが悪い」という意見もあるそうです。
でも死んで発見までに時間がかかると、遺体は悪臭を放ち蛆がわき下手すると床にまで人間の脂は染み込み、賃貸住宅なら前面改装、費用も手間もかかる。
私個人は、誰にも看取られず死ぬのはこれまでの自分の生き方から致し方ないと思ってはいるのですが、後始末で迷惑をかけることは避けたい。
なのでゆくゆくは、遺言執行人を指定して「死後事務の委任契約」を結んでおくか、もしくはNPO法人サポート契約を利用したいと思っています。
とりあえず後始末にかかるお金くらいは貯めておかねば〜!!


話それました。
事務処理はそれでいいとしても、死後何日も放置されていたら、直後の後始末は大変です。
なので可能な限りすみやかに発見されるようにしたいものです。
となると、できるだけ他者との繋がりを心がけておかなくてはいけないのでしょうね。
しまった、苦手だな…うーん。あれだな、「あんしん電話」とか設置しなくちゃだな。

SandM2011-08-02

以前、NHKスペシャルで「孤独死」が取り上げられたことがありました。
かなりの衝撃だったこの案件、今回関連本を手にすることが出来たので更新〜。


例によって内容の詳細説明はナッスイングですアハハ。
では「かんそう」ゴー。

M「ヒトはなぜヒトを食べたか−生態人類学から見た文化の起源」マーヴィン・ハリス

早川書房


結構時間かかったのに特に面白くなかったようクスンクスン。
やたら「コスト=ベネフィット」で論じようとするから、どうも段々我田引水の感が強くなってきてしまい、途中からは「も、もしかして、トンデモ本??でも早川だし…。いやでも…」のせめぎあい。
なんとか最後まで読みましたが、ちょろちょろ面白いところもありましたが、いまひとつ頭に入りませんでした…。
真面目な本なんですけどね…。

M「家蝿とカナリア」ヘレン・マクロイ

創元推理文庫


犯人がわかるところまではすごく面白くワクワクしながら読みました。
メスの柄の方に蝿がたかるのは何故か?
何故犯人はメスを研ぐ為押し入った刃物研磨店のカナリアを解き放ったのか?


しかし、すれちゃってるので、真犯人「以外」の怪しい点を順繰りに描写していく時点で、真犯人がわかってしまいました。
推理とは全く関係なく。なんて申し訳ない解り方。
劇団が舞台なので人間関係入り組んでそこも面白かったです。